ギャンブル(賭博)の定義は、
「偶然性の要素が含まれる勝負」にて金銭などのやりとりをおこなう行為。
将棋など「二人零和有限確定完全情報ゲーム」の、
偶然に左右されない読みの深さで行うものとは根本的に異なります。
将棋などは能力差が歴然としており、
その場合のお金は「指導料」になるのかとも思いますね。
ですから「ボーダー理論」で勝たれる方達にすれば、日々の勝敗結果は別として
「トータル的」に勝つのであれば「ギャンブル」ではないと言えるのでしょう。
もっともそんな難しく考えず、
また遊びとも捉えず結果的にお金を賭ける意味からすれば、
パチンコはギャンブルとなります、そして自分にとっても「ギャンブル」です。
回れば勝てるか?、
これは間違いなく負けることが少ないのですから、
この台を追求し打ち続けるならば結果に勝つはずになるのですから、
オカルト遊技であろうが回らなければ勝ちにくいだろうと思います。
ここで大事なのは、
「収束する」確定要素が「完全確率・独立抽選」にはないのが正論であり、
それは過去の結果に影響しないのですから当たり前です。
この考え方は、確率論・統計学において説明される、同条件下のもとであれば、
その試行回数が増えるの従い「理論的確率」と「経験的確率」が
近似値になるとの「大数の法則」を元としています。
簡単に言えば、
「数こなせば結果はあらかじめ決められた確率にどんどん近づいてくる」と言うものです。
独立試行はその名の通り前回の出来事を覚えていません、
よって何回も繰り返す事で途中に起きた「偏り」が分母が増加する事で
「確率上うすくなったように見える」だけで、
「大数の法則」は正に「定理」であり、その真意もそこにあります。
「完全確率」=「運」ですから「運」は収束なんかしないんです、
人間の運不運は平均化もしません(ちょっと例えが悪かったですかね。
人気台(新台など)パチンコを個台単位で見ていると、稼動は目一杯ありますが
今日は出ないぞ(夕方から変わります)と回りの台の挙動から見えてきます。
台の不調は打ち手のタイミングにて変わるのではなく、
誰が打っても当たらないものは当たらない!なんてボーダーコテコテの人から見れば
「コテコテのオカルト現象」になってしまう現状がホールにはあります。
ご存知の通り「公営ギャンブル」は公称25%(切捨てにつきもう少し多い)のテラがあります、
理論的で表現すると
10万円を1レース〜10レースまで賭け続けると5,630円になってしまいます。
スロ機械割での設定1が多くの95%で考えてみると1日7,500ゲーム3枚がけで22,500枚、
払出21,375枚、差数1,125枚です、1枚20円で22,500円の負け、
ただし取りこぼしがあればもっと負け額は増えます、さらに「交換率」があります。
数字のマジックに見えますね。
このように勝てる要素の極めて少ないのは「ギャンブル」と言っていいのだろうか、
勝ち組は別として将棋と同じように
ホールと遊技者には勝ち負けの「確定的な優位差」が存在します。
パチスロはずーと以前に2号機になって「完全確率方式」となり、
それに伴い意識的な仕組みは禁止されたましたが
4号機に「ストック機能」の考え方を認可しています、
これが昂じて「爆裂時代」が問題となり後ほどに強制撤去にします。
パチンコ台は法律的には「遊技機」でありギャンブル用途ではありません、
「換金行為」は「三・四店方式」のグレーゾーンであり、
閉店後行われる釘調整も厳格に言えば
風適法第9条違反の公安委員会の承認を受けずに設備の変更を行う行為であります。
台に対しての脱法行為は、究極は台への「未承認行為」事項になり、
それに抵触しないのは問題になりません。
パチンコにバカのようにどっぷり浸かってきました、
それもこれも飲み込んで勝てるオカルトに励んでおります。